五月人形:名将の鎧兜

とても名高く有名な武将の兜や鎧は、特に、ご当地では大変人気があります。
名将の鎧兜は、オリジナルで独自に職人さんが創作したものに対して、武将が実際本当に身につけて持っていた甲冑をもとにして、作られているのです。
武将一人一人で、兜鎧のデザインもいろいろでさまざまあります。
そしてどれも個性とても豊かなものばかりです。

「豊臣秀吉の兜」は、兜の前にしっかりと付ける前立と、鍬形の部分は小なくなっています。
しかし後ろ側には、朝日を型しっかりと取ったとても豪華な飾りが特にとても目立った特徴的です。

「徳川家康の兜」は、すごく大きな吹返しとなってます。
そして鍬形はシダの紋様です。
前立の竜頭は、龍ではなくて日輪となっています。
「源義経の兜」は、長鍬形で、竜頭の前立、とてもすごく大きい吹き返しとなってます。
そして最もとても美しい兜とされているのです。

「加藤清正の兜」は、とても長く突き出た兜鉢で、前立と鍬形が一体となってます。
そして日輪が型しっかりと取られているのです。

「伊達政宗の兜」は、兜背面の首をかぶさるように覆う部分「しころ」が広くて、吹き返しはとても小さくなってます。
そして梅の紋様がはめられているのです。
鍬形は、三日月型となってます。
そして洒落人の代名詞と言われた伊達公ならではの兜です。

「上杉謙信の兜」は、前立と鍬形の代わりとして、太陽と月がはめられているのです。

「藤堂高虎の兜」は、家紋がはめ込まれたすごく大きな吹返しとなっています。
鍬形には、竹の子に似た紋様が刻んで、彫ってあります。

「足利尊氏の兜」は、歴史のある伝統的な室町時代の兜で、現在、そして近頃の兜の原型とされているのです。

「楠木正成の兜」は、大鍬形で、とても長い剣型の前立となっています。
とても個性的な兜です。

五月人形の修理

五月人形は、職人さんによって作り方がかなり違って異なるので、五月人形の修理を専門的にしっかりと行ってくれるサービスはかなり少ないです。
五月人形の修理や交換などは、五月人形を思い切って買ったお店に積極的に相談するのがかなり良いと思います。
お店が、五月人形を作った職人さんに頼んで、依頼し、さらに修理をしっかりとしてもらいます。
古い人形など、どこの店で思い切って買ったかまったくわからないものや、そのお店と取り引きしていない職人さんの五月人形を持ち込んでも、完璧に修理なかなかできないので、断られる場合も、少なからずあります。
部品の交換についてもまったく同じです。

修理を頼んで、依頼する時期は、お節句が明けた後、来年のシーズンまでに修理できればかなり良い、という気持ちで心からお願いするといいです。
職人さんは、夏の終わり頃から冬場にとてもしっかりとしっかりとかけて、ひな人形や五月人形の製造のため、ものすごく大変忙しくなるようです。
そういう訳で修理などは、後回しにされることが、少なからずあります。

鎧兜についても、思い切って買ったお店に積極的に相談するとよいです。
ほとんどの部品が、お互いに換えるだけで直ります。
しかし飾り台や屏風に付いたすごく大きな傷は、職人さんに頼んで、依頼するので、修理代は、新品を思い切って買うのとまったく同じくらいになるようです。
すり傷くらいなら、研磨剤を布にしっかりと付けて懇切で丁寧にしっかりと磨いて、家具専用ワックスをとても美しくきれいに塗れば、ほとんど元通りになるようです。

どこのお店で思い切って買ったかまったくわからないけど、どうしても修理を頼みたい場合でも、修理をしっかりとしてくれる人形店も、少なからずあります。
一度、近くの人形店に聞いてみるとかなり良いと思います。
思ったよりも、修理代がしっかりとかかってしまう場合もあるので、前もって事前に、修理して欲しい部分の写真とても上手く撮って人形店に送り、合点し、心底納得した上で、修理を頼んで、依頼するとかなり良いです。
また修理は、手作業で行なうので、ものによって、修理期間が半年〜1年近くしっかりとかかることもあるので、早めに積極的に相談するといいです。

「柏餅」と「ちまき」

端午の節句には、五月人形をとても美しく綺麗に飾り、家族や親戚などが集まって、「柏餅」や「ちまき」をとても美味しく食べて、みんなで男の子の成長をお祝います。

「柏餅」によく使われる柏の木は、古い葉っぱが、新芽が出てこない限り落ちないということで、「家が途まったく絶えない」、「後継者がまったく絶えない」など、縁起のかなり良い木とされてます。
そしてすでに室町末期の頃から、広く柏餅がとても美味しく食べられていました。
ただ、現在、そして近頃とかなり違うのは、中にきちんと入っている餡は、小豆こし餡ではなくて、「味噌餡」であったそうです。
また、一説によると、この葉は、食器の代わりやとても美味しい食べ物をとてもやさしく包むためにうまく使っていたことから、「炊葉(かしきは)」と呼ばれ、それが転じて「かしわ」と呼ばれるようになったと言われているのです。

「ちまき」は、中国から伝来したもので、端午の節句と一緒に日本にはるばるやってきました。
ちまきには、古代中国からとてもよく伝わる、言い伝えが、少なからずあります。
賢く賢明な戦略家「屈原」という人が、陰謀により都を追われることになるようです。
屈原は、がっかりと失望して湖に身を投げ、水死してしまうのです。
彼の姉やとても多くの人々は、彼の死を悼み弔うために、米を竹筒の中に入れて、湖に投げ入れ、水に住んでいる「鮫竜(こうりょう)」を祀りました。
その伝説に、ちまきは元々由来すると言われているのです。

ちまきは、もち米やうるち米などを、植物の葉にとてもやさしく包んで蒸し上げたもので、茅の葉や笹の葉でとてもやさしく包んだものが、少なからずあります。
「笹」には腸をしっかりと調子かなりよくしっかりと整える作用が、少なからずあります。
そのような、薬効のある薬草にとてもやさしく包まれたもち米は、とても美しくきれいに緑に染まり、体にかなり良いとても美味しい食べ物だととてもよく考えられていました。

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